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ファーストフードにさようなら

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なんたってお手軽だった

 添加物に気を遣う生活を始めると、外食、特にファーストフードに疑問を抱くようになります。それまでは、「美味しい!」とさえ思っていたファーストフードなのに、なんという変わりようでしょう。今となっては、自分の意志で利用することは皆無になりました。

 それこそ子供が小さいときは、手軽に入れる店として重宝していましたし、クリスマスと言えば…やはり、あのお店のチキンが定番でした。人のよさそうな白髪紳士にまんまと騙されていたわけですが、相手も商売、あの手この手で購買意欲を掻き立ててきます。

疑問を持つことが大事

❝安くて早くて旨い❞

 なぜ安いのか、なぜ早いのか、なぜ旨いのか…、多分多くの人が分かっているけど、深く考えずに食べている状態ではないかと思います。

 価格の安さは素材の質安全性に直結しています。アメリカのドキュメンタリー映画「スーパーサイズ・ミー」と「スーパーサイズ・ミー2」、そして「フードインク」を立て続けに観たあと、オーストリアのドキュメンタリー映画「ありあまるごちそう」も観ました。

 どの映画もかなりショッキングな映画でした。農場から食肉解体業まで、そこはただの生産工場であり、生き物ではなく「物」として扱われている。話には聞いたことあるけれど、私自身今まで聞こえないふりをしてきたわけです。

 様々な薬によって大きく育てられる牛豚鶏、そして劣悪な環境。やはり映像で見ると何も言えなくなります。「感謝」がどこにもないような、オートメーションの中で、ただ消費されるだけの「食材」として扱われていることに現代社会の闇を感じます。観た映画の中で、特に「フードインク」は秀逸なドキュメンタリーでした。工業化された農場とは別に、効率が悪くても有機農法を実践している農場へのインタビューがあり、その農場では動物に対しての尊厳を感じられたのが救いでした。

 私たちはなぜ食べるのか、食べることとは一体どういうことなのか…哲学が必要なのかもしれないですね。

抜けてしまえば楽になる

 ファーストフードと完全にさようならをするのに、3ヶ月以上はかかったと思います。それは、店の近くを通っても、においが漂ってきても「美味しそう!」とならなくなるのに要した期間です。初めのころは「あ、〇見バーガーだ♪」「〇〇チキンだ♪」と、思うのを我慢して素通りしていたのですが、一定期間口に入れないでいると、何の興味もなくなります。においが漂ってきても、食べたいと思わなくなります。不思議ですが、毒が抜けたようなスッキリした気持ちです。

 私たちの体は、食べたもので作られています。「そんなの分かってるよ!」でもやめられない。それが添加物の怖さ…、いったい何が入っているのでしょう?

 ここで詳しく添加物については触れませんが、「また食べたい」と思わせるものが入っているのは確かなようです。その毒が体から抜けると、ファーストフードは、もう私にとっての食べ物ではなくなります。

 たまに「添加物は危険ではない」「そんなに気にする必要はない」などと言っている方を見かけます。確かに、極端に気にしすぎるのも、良くないかもしれません。しかし、「また食べたい」と思うって、もうそれは依存症ではないですか。

 しかし、大企業が悪いのではなく、それらを求める消費者の責任だと言えるのではないでしょうか。私たちが添加物や遺伝子組み換え、ホルモン剤に「NO!」を突き付け、適正価格を受け入れれば市場は変わると思います。安全な食品を安心して食べられる社会にして、元気に楽しく老後を迎えたいですね。

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